子供らに話した後で、とても騒がしい心の中
こんばんは、一学期も残り僅かになりましたね。
成績はまとめずとも、学期をまとめようと子供たちとの時間を沢山作っている時期だと思います。
私もその一人。
5年生を受け持っている今年は、1年生の去年とは言うことも、聞いてほしい部分も大きく違います。
一学期頑張ったね〜、などとは言いません。
個々で努力したそれぞれの事は、そのたびに称揚をしておりますが、学期全体をよく頑張りましたね、などとは言いません。
5年生、まだ一学期です。
学習内容がえぐいくらい多い5年生、ここでへこたれちゃ後半戦息切れしてしまいます。
これからだぞ、力蓄えおけよ。みたいなニュアンスで一学期締めくくろうと思っております。
まあ、よく頑張ったんですけどね、彼ら。
結局、言うんですけどね(笑)
そうやって、子供らに何かを伝えるときや、授業など、事前に言葉を考えてしまうと、どうしても、それを言おうそれを言いたい、と頭の固い私は思ってしまうのです…。
そして、脈絡のない話を急にしてしまい、結局言いたいことが分からない…なんてことが多々。
多々、というか、そういうことをすると、ほぼ起こります(笑)
なので、授業も学級の話も、トニー・スターク流のアドリブばかりです。
トニー・スターク、というか、ロバート・ダウニーJrか。“I am Ironman.”がアドリブというのは有名な話。
まあ、聞いてる彼らが立ち上がるほどの話をしてるかと言われれば、そんなことはないんですけどね。響いていては、ほしいですけど。
ただ、嫌な響き方をしちゃったのではないか。
そんなことを、思ってしまうのです。
アドリブが故に、赴くままに(もちろん、短時間で言葉を選んではいますが)話しているので、言葉が足りなかったり、時間が足りなかったり…と、言い切れないことが多いのです。
言い切ってはいても、言葉選びを間違えていたり、たとえが少しズレていたりと、自分の意図が全て伝わったな、と思う日は少ないです。
それを伝わりやすいように、話してはいるのですが、どうしても時間が経つと、モヤモヤが広がっていくのです。
教師が学級の時間などで話す機会があり、伝えたいこと伝えた日は、職員室や、帰り道は、ずっと自分の言葉を反芻してしまいます。意味なんてないのに。
もう伝わってしまったものを、「昨日はごめんよ。少し言い方を変えるよ」なんて言っても、きっと忘れてる(笑)
ただ、変に伝わった児童には、心にモヤモヤがかかったままになってしまうんですよね…。
今日、あること(長時間泳ぎ続けるという謎の大会)に向けた練習の後、泳げる技術はあるのに、すぐにプールサイドに上がってしまう児童が多々いたので、
「君達の中に、出来るはずなのに、気持ちが折れてしまっている人がいる。本当に出来ない人は、そんな上がり方はしない。溺れてしまうか、泳ぎきってしまうかのどちらかだ。
気持ちがない人なんて、何を言ったって無駄だと思うから、先生は何も言いたくなくなる。それよりも、頑張ろうともがいてる人に時間を使いたい。ただ、このクラスに、絶対出来ない人なんて見る限りいません。気持ちで負けないでほしい。」
みたいなことを言ったんです。多分。
で、これ、自分の中で何がモヤモヤしてるかというと。自分は、泳げない子全員に時間をかけて指導をしてるつもりなんです。
ただ、「気持ちがない子には、何も言いたくなくなる」みたいなところを、湾曲して捉えちゃったらまずいな、と。
私は、気持ちが折れてると思われてるからあまり言ってくれないのかな、とか。
今日失敗したから、何も言ってくれなくなるのかな、とか…。
「そんなことはないと思ってるから、今日失敗した子にはたくさん伝えた。」っていうのを、その子達だけでも分かっていればいいのですが。そこの意思疎通が出来てないと、ただ心を折っただけになる…。
なんてことを、今更なんの意味もないのに、ウジウジ悩んでおります。
悲しいことに、日常茶飯事です(笑)
ただ、言うことまとめたりなどしません。
トニー・スタークなのd..
目の前の子供らと、良い関係を築いていれば、伝わるかなと思っちゃってるから。
杞憂じゃないといいですけど(笑)
頼む、伝わっていてくれ。
そっと、フォローを入れるから…!!