FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

正直であることの大切さ

こんばんは。

 

苦手な人ともある程度上手に話せますし、

嘘も方便と適当な言葉でその場を取り繕うこともします。

きっと誰しも嘘をついて生きている。というか、人や周りを騙し騙し生きないと上手く生きれないクソみたいな国ですので、日常茶飯事であることだと思います。

 

 

だけど、やっぱり嘘はいけない。

 

 

自分を守るためだけの嘘は、いけない。

 

これは、自分が子供らに叱る大きなポイントの1つでもあります。

子供なんて、自分可愛さに嘘をついてついて生きていますよね(笑)見栄張って、まわりを騙して……自分の首が締まっているのも知らず(笑)

ただ、結果として自分だけの首がしまるような嘘(というか、知ったかぶり)ならいいんです。可愛いものなので。

 

自分を守るための嘘で他人が傷付く場合には、くろま先生怒り心頭です。その自白が遅ければ遅いほど落ちる雷は長く深く強いです(笑)  深く?

1年生の子なんて、怒られないように必死ですから、嘘なんてポロポロつくわけですよ。

「叩いてない」「言ってない」「やってない」「触ってない」「僕じゃない」「私じゃない」……

ボロのすぐ出る嘘を。

 

例えば、

「〇〇くんが押してきた」

「だって、邪魔してきて、『邪魔』って言ったのに無視するから」

「邪魔してないし」「した」「してない」…

一先ず、明らかに悪いであろう手を先に出した押した子を注意する。(その子は手を出したことを認めたので注意止まり)

そして、押された子に

「本当に邪魔をしてないんだね?」の確認。

身を泳がせながら「うん」と数回の確認で言ったので。

「全部押した〇〇くんが悪いんだね?」

「うん。」と言質を取った後、「この子邪魔してた?」と周りに尋ねると「うん」との声がチラホラ。

「と、言ってるけど、本当は?」

「僕が邪魔した」

 

ぶちっ。

 

みたいな。

自分を棚に上げて人を責め立てたり、被害の要因を担ってるくせに認めようとしなかったり、自分しか悪くないのにしらを切る奴らは、説教です。

 

幼い頃、自分がクソ正直で、逆にいじめられた過去もありますが。

“正直になることが出来る”力があるというのは、メリットは少ないとしても、デメリットは1つもないのではないかと思うんです。

実体験として、正直者は救われた試しより、バカを見た試しが多いですが、それでも。

 

要領良く生きる⇔正直者

のように、対になってると思ってる人がいる気がしますが、全てにおいて正直になるのは馬鹿と紙一重であって、“自分が嘘を付くことで、他人があらぬ被害を受ける時に、正直になること”が出来るかどうかだと思うんです。

 

常々、子供に本気で怒る時は、やはり自分のためだけの嘘やごまかしで逃げようとする子に対してですし、きちんと許すときは素直に悪かったと言った時ですし。自分なりにそこの線引にはしっかりしようと心得てます。

(やったことの度合いにもよりますが、まだ一年生なのでそこまでね。)

 

自ずと子供たちも、周りの子にすぐにごめんねが言えるようになりましたし、素直に謝ることができるようになってきました。

あと、一学期で残りの一部を頑張りたいと思います。いいことなんかないぞ、と気付いて欲しい。それは要領良いわけじゃなくて、ズルく逃げてるだけだから、履き違えて欲しくないですね。

 

ただ、一年生。

自分のやったことを本気で本気で覚えてないことがあるので、その可能性も視野に入れながら怒らないと、その子にしてみればいわれの無いことなので理不尽極まりないですからね(笑)

そこは、石橋を叩いていこうと思います。

 

 

(ただ、そんな価値観を押し付ける道徳の教科書は好きじゃないです。)

それでは。