FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

存在しなくても学校運営に支障がないものをなぜ、戻そうとするのか

お久しぶりです。

一週間で三度も自炊を諦めたのは今週が初めてでした。悔しい。楽ちんでしたが、死にそうでした(笑)

 

さて、コロナがまた猛威を振るってきました。

 

昨年、一昨年と、コロナ禍ということもあり、様々なものが見直され、改善され、廃止されました。

そのほとんどは、正直なくても何の差支えもないものたちであり、現にこの2年間そのシステムで滞りなく回ってきました。

 

しかし、コロナが落ち着くや否や

 

「昔のように」「コロナ以前のように」

「前のように」

などという、訳の分からない大義名分をどここらともなくかざされ、折角なくなったものや、簡易化されたものが、再び陽の目を見ようとしています。

 

意味が分からない。

 

 

自分が所属している地区では、「〜記録会」だの、「〜大会」だの中学校でも削減する流れである部活動の大会を、また開催しようとしてるのです。

というか、したのです。今週に。

 

 

確かに、子供たちの目標にはなるし、称揚にもなります。

ただ、運営に携わる自分たちの苦労に見合った見返りが、子供たちにいっているでしょうか。

答えは、はっきりとノーです。

 

この大会のために、どれだけの時間外労働をしたか、どれだけクラスの児童のことよりも、運営に携わる資料作りを優先させたか…

やれ、と言われて、投げ出してしまったら顰蹙ものですし、他校にも迷惑がかかるので、やらざるを得ません。

他学年ですら、あまり関わるなとか言ってる中、他校と関わる大会を開くなど、本当に意味が分からない。誰か助けてください。過去の亡霊に囚われた教員が多すぎる。

 

 

さきほども言いましたが、たしかに子供たちに還元される部分もあります。

ありますが、その日しか出会わない他校の児童より、自分が受け持っている学級の彼らに最大の見返りをあげたいんです。

そのために、学級担任はいるべきで、大会運営のためにいるわけではありません。見たこともない誰かのためより、目の前の子供たちを大事にしたいんです。

だって、見たこともない子供たちにも、担任の先生はいるわけで。その学校の先生がたがいるわけで。親しいその人たちが、与えられる称揚に見合うほど、自分が苦労したあの大会で受け取っているとは思えません。

 

 

 

まあ、愚痴です。

意味の分からない古き悪き体制の教育機関に対する愚痴です。

どこかに届くといい。

ただ、届いた先に待っている人は、きっと、僕の思いを汲み取ってくれない人でしょう。

 

 

僕はただ、時間を割くなら、子供たちにその時間と与えられる最大の見返りを与えたいというだけです。考えてあげたい、というだけです。

それと、無駄な時間外労働はそれなりの手当てが欲しいということです。

 

 

また、コロナが猛威を振るってきました。

悪い気持ちばかりではない自分が、少し憎いです。