FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

読み物教材の立ち位置

こんばんは。

最近、肌の調子が良く、晩酌をするようになりました(笑) 飲み会だとすごい持つ方ですが、一人で飲むと即効でいい気分になります。気が楽っていいですよね。

 

そして、今日は昨日の続き?になります(笑)

読み物教材について、よく調べもしない若造が自論を唱えますので、見苦しいですがご勘弁を。

 

さて、読み物教材の話をする前に、読書をしないのを子供たちのせいにしているということについて、もう一度。

読書をしないという問題点は、数多ある媒体の中から本を選ぶという選択肢を与えきれてない僕らにあると思うんです。親も然り。

 

なぜ選ばないのか。それは、魅力が分からないからです。

手を変え品を変え、口々に言いますよね。

本を読まないと〜、本を読むことで〜…本当ですか?ネットで調べる力や、コミュニュケーション能力の方が大切ではありませんか?わからない言葉にぶつかるたびにググったり、調べればいいですよね…。

 

個人的に思う、読書の素晴らしいところって一番は想像できることだと思うんですよね。現実改変じゃないですけど、空想、幻想。イマジネーションです。自分の好きなように色を添えられるし、空間を描ける、そして、その能力が付いていく。

いらないのかも知れません。まんじゅうを考えるときにはまんじゅうの絵がすぐに見つかりますし、探せる時代ですから…。

ただ、「まんじゅう」という言葉を聞いて、(例え言葉や絵で表現出来ないとしても)全員が違うものを想像出来る。登場人物が食べたそれは、甘いかも、辛いかも、苦いかもしれません。その答えを、また文に求める。それが面白さであり、やはり培うべき力じゃないかなあって思うんです。

 

想像する力。そして、その根拠を文や他の情報に求める力。

 

きっと、それは他の媒体でも同じで。

 

まんじゅうを食べた時に、「ゔっ」と辛そうな声が出たらまずかったり、辛かったりするのかも知れません。眉が下がったら、美味しいのかもしれません。映像になれば、一度に大量の情報が入ってくるので、根拠を探すことは簡単ですが、果たして深くまで理解できるかと言ったら…

きっと、本を読めない、1つから多くを想像する力がない子には、多くの情報を与えてくれる映像も、1つの解釈しか出来ないんだろうなと感じます。

 

これから、あふれるほどの情報を取捨選択していかなければいけない彼らには、ゆったりと正しいものを選んでいく、そこから、じっくり想像していくという、そんな力、そして、そんな時間や機会が必要になる気がします。これこそ、根拠などないですが(笑)

 

そして、そんな壮大な力の他に、実写化されたり、なにかに興味を持ったりした時に、「本嫌いだから」というしょうもない理由で、興味や好きを深める機会を失って欲しくないという個人的な子供たちへの思いもあります。

 

だらだらと思いばかり書いてしまいましたが、読み物教材は、本との出会いの場として有効活用しまくるべきだと思うんです。図書館に行って終わり、とかではなく、この本はどうやって生まれてきたのか、どんなことがモチーフになっているのか、作者は、舞台は……など。一人二人が目を輝かせる授業もたまには必要ではないでしょうか。

読み物教材で取り扱われているのかは、どこかしら子供たちを惹き付けるポイントがあるはずなんです。そこで上手に刺激して、次へとつなげ、まず読んでみる。似たようなお話だから〜なんていう文言では、響きませんからね(笑)

 

要は、本を楽しませ、その価値を自分なりに見出させる。それが出来て初めて読み物教材から読書につなげることが出来るのではないでしょうか……。

 

まあ、最初にも申しましたが、これこそ私の実体験に基づく机上の空論ですので、信ぴょう性は低いです(笑)どうか悪しからず。

 

 

それでは。