FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

教育現場にタブレットを配置しようとしてる意味

新学習指導要領が施行されてから、二年目。この時期、多くの人を悩ませてるのは成績の3観点だとは思いますが、今日は、タブレットの話。

現在、全国的にすべての小中学校に全自動数分のタブレットを配置している最中。自分の市も徐々に配置を勧めており、勤務校は中高学年の分はすべて揃ってきました。

 

さて、ここで根本的に、なぜタブレットが配置され始めたのかというと、完全にプログラミング的思考を履き違えたお偉い方の見切り発車な訳です。勿論、我々の業務は削減されますし、子供たちも視覚的感覚的によりより学びが出来ることは確かで、とてもありがたいんですけどね。

論理立てて考えることが出来るかという意味合いでのプログラミング的思考は、プログラミングが出来るための考え方だと思われて広がってしまいました。なんとも残念。

今は、軌道修正もされ、いかに今までの教育に情報活用機器を、取り入れ子供たちの視野や体験を増やしてあげるかという考え方に変わりつつあります。よしよし、良いものが沢山出来そうだなと思った矢先に、このコロナ禍です。

しかし、この勇み足でタブレットを配置していたことが、とてもコロナ禍の教育を助けてくれたのは事実です。密になって交流ができない今、タブレットの共有機能を使い意見交流をしたり、友達の作品や意見を見て回ることも不安な時はそれすら、タブレットで共有させれます。一年生でも、朝顔の観察をタブレットを並行使いするものにしてみたり、音読の練習を録音して自分たちで聞き返して改善するといった授業も行いました。とても、幅が広がった授業が行えていると思います。

 

そして、夏休み明け。爆発的に増えている感染者。勿論、望まれたのはリモート授業、でした。しかし、これは今までの事例と大きく違うことが一つあり、それが大きな支障となるのです。

家庭環境です。

義務教育ですので、様々な家庭環境を抱えている児童がいます。その中には、おそらくWi-Fi設備が整ってない家庭もあるでしょう。そのような子達の教育は?授業は? また、共働きになっている子供たちの参加を促すのは?責任は勿論「義務」のある保護者なのですが…なかなかそこを理解していただけない人が多く。「どうにかなりませんか」という丸投げの意見が多い現実があります。

タブレットの配置が進み、教育が進んできましたが、やはり、一番大切なのは家庭教育だと思うこの頃です。なんのためにタブレットの配置が進んだのか。勿論、コロナ禍なんて予期していませんでしたから、使える時には使うことに反対などはしませんが、一部の子供たちの学習を、確実にこちらだけで保証できないことも確かなんです。

 

難しい贅沢な悩みですよね。とりあえず、自分はデジタル教材作るのを頑張ってますので、多くの先生方に共有出来ればと、ここでもあげていきます。

 

早く収束することを祈って。