小学生の古典の扱い。(光村書店国語五年『春の歌』)
こんばんは。
本日は、参観会でした。
日頃の授業が追いついていないことと、
土曜の子供たちを考えると、真面目に進める授業なんて出来るわけがないことから、単発授業を持っていきました。
一つは、理科「天気の変化」を応用した、お天気カメラクイズ。
もう一つが、枕草子が乗ってる「春の歌」という少単元です。少単元でもないくらいの読み物教材なんですが(笑)
“普通”の授業では、基本的にさらっと音読して流してしまう単元らしい(そんな考えはなかったので、あくまでも伝聞)のですが、勿体ない。
古典というものが、よく分からず苦手意識を持つ前の今だからこそ出来る授業があると思うんです。
指導要領でも「慣れ親しむ」とされている今だからこそ、やれる授業があると思うんです。
なんだこれ、わけわからん(笑)
みたいに流させるのではなく、向き合うべき教材だと思うんですよね…。
大学時代から、この思いは変わらずですが、
古典文学こそ、現代語訳から親しませるべきだと思っています。
まずは、子供達に、敵じゃないよ、味方だよ、知ってる言葉だよ、と距離を詰め、慣れ親しませるのです。
そして、古典文学では、価値観が同じものや異なるものがあるということを認識させるのです。
ぶっちゃけ、小学生に関してはここで終わりです。
この枕草子序文で言うと、
「へえ、昔って明け方に春っぽさを感じたんだぁ。桜とかじゃないのね。」
「あけぼのって、なんだよ(笑)」
こう思わせたら、勝ち。GG.
そのためには、自分の価値観も考えさせなければいけません。
なので、導入では
春っぽさや、春にしたいこと、春で好きなものとかいう漠然とした春の感じを考えさせます。
こんなもの、思い浮かべばなんでもいいんです。
桜、花、桜餅、三色団子、春休み、花粉……うちのクラスでは、ぱぱっとこんなものが出ました。これでいいんです。
枕草子も、随筆ですので、思い浮かぶままに書くことが大切になってくるわけです。
思い浮かばせた後、
枕草子の現代語訳を伝えます。より噛み砕いて。
「ん?」
「明け方って朝?」
「いやいや…」
そんな反応で◎
「じゃあ、みんなの春は〜。書いてみてよ。」
これだけで十分です。
指導目標を達成できてるからこそ出来る、アホほど自由な創作活動。
勿論、全てに◎です。花丸、です。
そんなはなまるつけるために回収致しました。
忘れましたが、学校に(笑)
ゆっくり休日にしたいと思います。