FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

一年光村国語「たぬきの糸車」と、場面読みの賛否。

こんばんは。

 

今日は国語「たぬきの糸車」のテストでした。

結果はボチボチ。

(まあ、抜き出し不足やそんなのをドンドン△にしてしまった僕のせい)

授業内容を少し反省したいと思います。

 

大半が学年団の先輩が、前年度に使用していたワークシートを使った授業です。

ほとんどの要因が、このワークシートを自分が上手に噛み砕けて使えなかったのが悪いんですけども…噛み砕けないなら自分で作ればいいんですけど、そんな気力はありませんでした。

 

 

さて、この単元。

大切になってくるのは、所謂場面ごとの心情を読み取る、ということですね。(だるぅ)

 

“場面読み”というのは、最近様々議論が行われていますよね。

作者が地続きで作った文を、こちらの意図で区切って読むのはどうなのか、とか。

区切って読むことで、1つの話として読んでると言えるのか、とか。

無暗に場面を切って読んでいる訳ではないので、意味はある、とか。

挿絵によって場面転換を…とか。

 

賛否両論です。

そして、個人的には賛否両論で良いと思っています。というか、そうあるべきであって。

指導方法なんて答えはないし、ましてや何が子供にハマるか分かったもんじゃない。

 

個人的には、ざっと一本読み切るのが苦手な物語もあれば、夢中になって読み切れる物語もあります。現に今も。

場面読みで教わった身としては、時間軸びゅんびゅん飛び回る伊坂幸太郎を読むときに、とってもお世話になってますけどね(笑)

 

ただ、今の子供達は、アニメや、ドラマ、映画と動画的な物語を好むので、挿絵ごとに1つ1つ区切るのではなく、あくまで挿絵は子供の想像をサポートするものという捉え方として読み進めるのも良いのだろうな、という考えもあります。

 

 

話が飛びましたね(笑)

今回の「たぬきの糸車」は、挿絵ごとの場面読みをしました。

1.登場人物の確認、流れの理解

2~5 場面読み

6.続き物語

7.手紙作成

 

それぞれ、登場人物の行動から気持ちを想像して…というものです。

僕のモットーとしては、国語は想像する授だよ、と教えてます。根拠は文に求めることを大前提として。

 

つまんねえな()と、思ってしまった私は、最後に「手紙を出す」という続き物語を考えてもらいました。

 

手紙は、勿論たぬき側でも、おかみさん側でも、想像しやすいほうで。

まあ、自分が最初からそこに向かってなかったことと、乗り気じゃなかったことも相まって、少し薄い手紙ばかりになりましたが…

 

 

ただ、個人的に行間を読むことで、物語の理解を深める授業をできたのではないかな、と考えています。

結局、この文は、おかみさんのセリフも少なく、たぬきにいたっては行動と些細な身体描写しか描かれません。低学年の物語にしては、動物が動物として描かれているんですよね。

そこからも、登場人物の行動、そして、地の文が生きてくるわけです。その上、この時代を全く想像出来ない子供たちには、この時代を理解する手がかりにもなるんです。

 

木こりは、なんで冬になると山を下りなければいけないのか?とか

春になって帰ってきたときに、生活感があるとなんで驚くのか?とか

そんな疑問を1つ1つ生み出しては、潰して行くことで、手紙や行動からの心情の読み取りも上手になっていくんですね…。

 

 

 

しっかし薄い授業をしてしまった。

申し訳ない。