一年光村国語「たぬきの糸車」と、場面読みの賛否。
こんばんは。
今日は国語「たぬきの糸車」のテストでした。
結果はボチボチ。
(まあ、抜き出し不足やそんなのをドンドン△にしてしまった僕のせい)
授業内容を少し反省したいと思います。
大半が学年団の先輩が、前年度に使用していたワークシートを使った授業です。
ほとんどの要因が、このワークシートを自分が上手に噛み砕けて使えなかったのが悪いんですけども…噛み砕けないなら自分で作ればいいんですけど、そんな気力はありませんでした。
さて、この単元。
大切になってくるのは、所謂場面ごとの心情を読み取る、ということですね。(だるぅ)
“場面読み”というのは、最近様々議論が行われていますよね。
作者が地続きで作った文を、こちらの意図で区切って読むのはどうなのか、とか。
区切って読むことで、1つの話として読んでると言えるのか、とか。
無暗に場面を切って読んでいる訳ではないので、意味はある、とか。
挿絵によって場面転換を…とか。
賛否両論です。
そして、個人的には賛否両論で良いと思っています。というか、そうあるべきであって。
指導方法なんて答えはないし、ましてや何が子供にハマるか分かったもんじゃない。
個人的には、ざっと一本読み切るのが苦手な物語もあれば、夢中になって読み切れる物語もあります。現に今も。
場面読みで教わった身としては、時間軸びゅんびゅん飛び回る伊坂幸太郎を読むときに、とってもお世話になってますけどね(笑)
ただ、今の子供達は、アニメや、ドラマ、映画と動画的な物語を好むので、挿絵ごとに1つ1つ区切るのではなく、あくまで挿絵は子供の想像をサポートするものという捉え方として読み進めるのも良いのだろうな、という考えもあります。
話が飛びましたね(笑)
今回の「たぬきの糸車」は、挿絵ごとの場面読みをしました。
1.登場人物の確認、流れの理解
2~5 場面読み
6.続き物語
7.手紙作成
それぞれ、登場人物の行動から気持ちを想像して…というものです。
僕のモットーとしては、国語は想像する授だよ、と教えてます。根拠は文に求めることを大前提として。
つまんねえな()と、思ってしまった私は、最後に「手紙を出す」という続き物語を考えてもらいました。
手紙は、勿論たぬき側でも、おかみさん側でも、想像しやすいほうで。
まあ、自分が最初からそこに向かってなかったことと、乗り気じゃなかったことも相まって、少し薄い手紙ばかりになりましたが…
ただ、個人的に行間を読むことで、物語の理解を深める授業をできたのではないかな、と考えています。
結局、この文は、おかみさんのセリフも少なく、たぬきにいたっては行動と些細な身体描写しか描かれません。低学年の物語にしては、動物が動物として描かれているんですよね。
そこからも、登場人物の行動、そして、地の文が生きてくるわけです。その上、この時代を全く想像出来ない子供たちには、この時代を理解する手がかりにもなるんです。
木こりは、なんで冬になると山を下りなければいけないのか?とか
春になって帰ってきたときに、生活感があるとなんで驚くのか?とか
そんな疑問を1つ1つ生み出しては、潰して行くことで、手紙や行動からの心情の読み取りも上手になっていくんですね…。
しっかし薄い授業をしてしまった。
申し訳ない。