FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

子供へのゲームのすゝめ

ゲームが好きです。

 

故に、中高と夢はゲームクリエイターでしたし、FFのナンバリングのスタッフロールに名前を載せることを目標に生きていました。

まあ、紆余曲折あり、教師になった訳ですが

 

だからといって熱がなくなった訳ではなく、よりゲーム好きとしての熱は強くなりました。

自分は家庭が少し厳しくゲームがあまり出来ない子供時代でした。周りの仲良い子は夜な夜なゲームで繋がったり、ゲームの話をしたりと…。自分もしておりましたが、父親が帰ってくるまでの間という制限付きで、満足に出来た試しはありません。

(まあ、布団の中で懐中電灯たいてGBをしたり、PSPをしたりと出来る限りの手は勿論尽くしていますけども。)

 

そんな訳で、自分はRPG大好き人間に育ってしまったわけです。大学でFPSにハマりはしましたが、根幹はRPG。というかスクエニRPG。もっと言えばFF。

昔から勉強は好きな方でしたが、そんな自分でもゲームから学んだことは多いです。(これが本来のゲーム脳だと思うんですけどね)

英語の時間には、スキルや魔法、アビリティにあるような単語だけはすぐ覚えますし、国語の時間には、人物を思い通りに動かすことも出来ましたし、外来語や、古語、熟語の意味を把握出来ていたり、難読漢字を読めたりしました。数学では、一部の計算だけは異様に速かった覚えがあります。ダメ計みたいなね。

対人関係のスキルも多少。言葉の上手な返し方とか、上手な会話の仕方とか(笑)

自分の自我の形成にゲームが、大きく関わってきてるのは間違いないわけです。

 

 

そして、今の子供たちは、昔の自分のように隠れてやることも少なく、よりゲームに触れる機会が多いわけです。

しかし、ゲームの高騰化、そして何よりフリープレイゲームの存在が子供の学びを邪魔してるわけです。

 

基本的にゲームは商品です。

お金を払ったらその分の楽しさが保証されており、シナリオやキャラクター、ゲーム性などもある程度保証されているわけです。特にシナリオについては、売り切りな訳ですから、美醜、巧拙あるとは思いますが、本一冊分の物語は楽しめるわけです。

そして、やり終わったあとに、ああ終わった。楽しかった。などと何らかの感想を持てるんですね。

 

しかし、フリープレイは無料です。そのため、課金を勧めなければならない。ということは、“終わり”があっちゃいけないわけです。

流行ってるシューティング系のゲームはそうですよね。対戦形式で短いスパンで区切りがある。その類のゲームて使える知識や思考力は培えたとしても、それが他に生きるかといったらどうでしょう。

他にも、RPG系のものもありますね。あれは完全にお金を積むか、膨大な時間を割くかしないと楽しめる領域までいけないのが現状としてあります。子供たちに、そこまでのお金や、時間があるでしょうか?お金は勿論、体の発達を考えると、時間もないですよね。

最後に、Minecraftを例とする創作系のものです。これだけは、多少他とは毛色が違うのですが、結局なんでもできることから、何にも出来ず学べない。他人の建造を真似したり、そこから工夫して発展させたり、クリエイトな部分は多いに刺激されると思います。

しかし、他から得られるものがあまりにも少ないし、自分の中で完結してしまいがちなんですよね。

 

 

だらだらと書いてしまいましたが、子供に何も考えずゲームを与えながら、「勉強しろ」だの「本を読め」だの言ってる保護者に一言。

この環境化で、ゲームやめて本を詠みなさい、はかなり酷です。それなら、少し高いですが本を一冊買い与えると思って、シナリオがあるゲームを買ってあげて下さい。

 

こんなことを、書くと「ゲームで勉強させればいいんだろ」と、お勉強のソフトを買おうとする人たちがいますが…

あれは、あなた方のような学びの足りてない大人たちが楽しむものであって、子供がやるべきものではないと思うんです。

それなら、授業頑張ってね、と声をかけるとか、宿題一緒にやるとか、やれることは沢山あるはずです。ゲームまでお勉強をさせないでください。

 

必要なのは、非現実であって、そこで何を得られるかは子供たち次第だと思います。

勿論、フリープレイタイトルもいいですよ。自分は子供がやるにしては否定的ですが、それでも得られるものはあると思います。

ただ、やっぱり得られるものが多いのは一本のゲームだと思うんです。しっかりお金を払って買うゲームを買い与えてほしい

それで十分です。いくらでも楽しめるように作ってくれていますから。

お願いします。僕らでは教えられないことを教えてあげて下さい。

 

あくまでゲーム好きの1教員の戯言です。

 

どこかの誰かの参考になればそれで光栄です。