FF好きの教員日記

二十代半ばの教員が、至って真面目にだらだら話します。

教師がコミュニュケーション下手ってどうなの

どうも。

教師って、ゴリゴリのコミュ力の塊みたいな人ばかりと思っている方が多いと思いますが、実際そうでもないよって事をかいてみようと思います。

 

まあ、代表例として自分を挙げます(笑)

良し悪しで言ったら、コミュ力がないのは勿論教師としては悪いことですよね。あればあるだけ子供たちとの会話も進む。

自分は、そもそも自分に自信が微塵もない性格なので、自信があるように振る舞うことでなんとかやってきてはいますが、人からどう見られるかというのを恐ろしく気にしてしまいます。

(しかし、天邪鬼なので変に目立つことをしてしまっていた過去が……うう、痛い)

なので、人の視線がとても苦手で、かなり意識しないと「人と目を合わせて会話する」ことが出来ません。本当に。

怖くて怖くて逸らしたくてたまらないんですよね。

その上、ゲームをかなりする大学生活でしたので、会話が基本的にボイチャで行うことが多く、顔を見ずに会話するという事が平気になっていきました。

 

気付けば、同僚と話す時はものすごい意識して目を合わせようとしますし(勿論相手はしっかり見てる)、なにより子供たちと会話する時にその子の方をしっかり向いてあげようとするのですが…

結果、いつも意識がそこにいっている訳ではないので、下むいて話すし、何かをしながら話してしまう訳です。

デートのときもそう。目を合わせて会話するって、かなり大事なことなのにそれが難しい…。

 

そして、先日、ひろゆきさんのコラムかなにかで会話ベタが良く使う言葉として

「確かに」

「そうですね」の2つが挙げられていました。

ひろゆきが呆れる「会話が途切れてしまう人の共通点」ワースト1(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

 

もう本当に気を抜いたり、多少興味がないとこの言葉で相槌を打っている自分に気づいて戦慄しました。目線だけでなく会話力もなかったんだな、と(笑)

口は達者でしたが、会話力がないって致命的過ぎる。

 

子供たちと会話する時には、こんな雑に扱うことは滅多にないので(中身のない会話をしつこくしつこくしてくるときは流石に言うけど)学校では意識していましたが、対大人になると途端に消えている考えでした(笑)

 

 

とか色々思っているうちに、自分が内向的な趣味しかないのにしっかりと合点がいきました。うん。こんな意識バリバリ高めて話さなきゃいけないなんて、人と話すのめんどくさって(笑)

デリカシーのないくらい気にせず話すので、それもそれでまた問題なんですけど。

かなり会話で信頼を落としていることに気付かされたコラムでしたね。

 

ただ、教師をやれないことはないですけど(笑)

会話以外の部分で信頼を勝ち取っていかないとなかなか、難しいです。

 

 

そんな訳で、コミュ力がない教師の方は授業を頑張りましょう(笑)